真田昌幸公(さなだまさゆき)二度も徳川の大軍を撃退し知略の名将とうたわれた

真田昌幸公(さなだまさゆき)

真田信繁(幸村)公の父、真田昌幸公は二度徳川の軍を打ち破った知略の名将といわれています。
そんな真田昌幸公とは、どのような人生を歩んだのでしょう。

真田昌幸公の肖像画

一番有名な真田昌幸公の画像は、上田市立博物館に所蔵されています。
肖像画は、晩年のものといわれています。

真田昌幸公の一生

真田幸隆公の三男として生まれた昌幸公、幼少の頃に人質に出されたり、急に家督を継ぐことになったりと、順風満帆ではなかったようです。
どんな幼少期を過ごし、真田家の当主になって、どのように知略の名将となったのでしょうか。

武田信玄に仕えていたときの真田昌幸公(武田24将)

天下に勇名を轟かせた武田軍。信玄配下の猛将剛将24人をあらわした絵図の中に真田氏一族も描かれています。
真田昌幸公のほかに、父の真田弾正忠幸隆(さなだだんじょうのじょうゆきたか)、長男の真田源太左衛門尉信綱(さなだげんたざえもんのじょうのぶつな)も名を連ねています。

【真田三代の歴史】の人気コンテンツ

うえだで!! 週間人気ランキング

以前ご覧になった記事

うえだで!!

このページのトップへ