
真田昌幸公が上田築城の時、夫人寒松院の発願によって現在の地に再建された禅寺です。再建以前は砥石城の東麓、畑山にあったといわれています。
寒松院は、初代上田城主真田昌幸公の夫人で、長男信之公、次男信繁(幸村)公の生母です。生前は山之手殿、または京の御前と呼ばれていました。慶長五年(1600)の関ケ原合戦の際、人質として大阪城に居ましたが豊臣方に味方することに決した真田昌幸公の知らせを聞き、ひそかに大阪城を脱出して上田城へ帰ったといわれています。
寒松院の墓の他に、農民美術運動を広めた山本鼎の墓、江戸時代の俳人・加舍白雄を輩出した加舍家の墓地があります。上田市指定史跡に登録されています。
大輪寺の六文銭
真田氏にゆかりのあるお寺には「六文銭」があしらわれていることがあります。
大輪寺にも、建物に六文銭を見つけることができます。
屋根の上のほうに六文銭。
入り口の門の瓦屋根に六文銭。
寒松院の墓所
門を正面に見たとき、右手奥に細い道があります。
先には小さな池があり、フェンスに掲げられた看板には、矢印で「寒松院の墓」の場所を指し示しています。
この矢印は、この先所々にありますので、矢印のほうへ進んで行きます。
小高い丘を登った途中に「寒松院の墓」があります。
参拝者と六文銭
お墓には、小銭6枚を綺麗に真田の家紋「六文銭」のように、並べていく参拝者がいらっしゃいます。
これは、上田市真田にある長谷寺の「真田幸隆夫妻・昌幸の墓」でも、同様に小銭を六枚並べていく参拝者がいらっしゃいます。
このような参拝方法がどのように始まったかは分かりませんが、ほかの真田氏にゆかりのある地でも同様な小銭を六枚並べる風景を見かけます。
大輪寺の情報・アクセス
大輪寺
住所 | 長野県上田市中央北1-5-7 |
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お問い合わせ・連絡先
電話 | 0268-22-0575 |
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備考
駐車場あります |